納得して生き、
納得して死ぬ。

苦しみがある。不安がある。比較がある。死がある。
それでも、この世は面白い。

仏教は「死の問題」ではなく、「自分で納得して選ぶ感覚を取り戻すもの」として空想寺に入ってきた。他人の期待でも社会のレールでもなく、自分の人生を自分で選ぶための思想の道具として。

完成した人が教えるのではない。途中にいる人間が、途中にいる人間に向けて書いている。それが空想寺のスタンスだ。

おもしろきことなき
この世をおもしろく
住みなすものは
心なりけり
— 高杉晋作・辞世の句

価値の反転が、 仏教と笑いをつなぐ。

松本人志は悲しみを笑いに変えた。みうらじゅんはダサいものを文化にした。大竹伸朗は汚いものをアートにした。

仏教もまた、苦しみを智慧へ、執着を自由へ、死への恐怖を納得へと反転させる思想だ。この「価値の反転」という感性が、空想寺の根っこにある。

「おもしろきことなきこの世」——苦しみも不安も死も、そのままある。それを「おもしろく」するのは見方次第だ。高杉晋作がそう言った通り、空想寺もそう信じている。

空想寺が扱うテーマ

生きる

不安・比較・承認欲求・執着。日常の苦しみの正体を仏教で読み解く。

修行

瞑想・掃除・食事・歩行。難しくない、今日から始められる実践の仏教。

戒名・葬儀・供養・お墓。意味を知ると、死への納得感がまったく変わる。

03 — EDITOR

空僧(くうそう)

KUSOJI EDITOR — 空想寺 編集人

完成した人間ではない。今も途中にいる。不安がある。比較がある。それでも仏教の智慧に触れるたびに、世界の見え方が少しずつ変わっていく。その過程をそのまま書いている。

仏教を現代語に翻訳すること。笑いと智慧で、この世をおもしろくすること。それだけを続けている。

さあ、この世をおもしろくしよう。

仏教は難しくない。世界の見え方を変える思想の道具だ。