空想寺を立ち上げた経緯
これは空想のお寺である空想寺の空想の僧侶である空僧による空想寺の今後の考えるための文章である。
今日は、空想寺を立ち上げた経緯について振り返りたいと思う。
空想寺を思いついたのは2019年の12月、サラリーマンとしての自分ではなく、自分らしい自分を見つける為にたどり着いた一つの答えだった。
僕の社会人生活は常に焦り、「何か」に追われていた。
その「何か」を向き合うことはせず、ひたすら新規企画を打ち立てては三日坊主を繰り返していた。
「何かをしていないと気が済まない病」を発症していた。
現在も後遺症はある。
何かをしていないと気が済まない=休日も休めない状態
経済合理性のために会社に通い、誰かに指示されるたびに誇り低きプライドが邪魔をしてストレスを溜める毎日。
これは本当の僕じゃないと言い聞かせ、本当の僕を見つけらずにひたすら焦る。
財布を落として焦っている状態がずっと続いていると考えればわかりやすいだろうか。
空想寺を思いついたのは単なる一アイデア・閃きによるものだったが少し胸が高鳴った。
「これだ!」ってやつだ。※過去にも何十回と同じようなことはあった
ロジック・根拠もよくわからないが「これだ!」「いける!」と強く思ったからやってみる事にした。
何が「いける!」のかはよくわからないが、簡単にいえば承認欲求が満たされる未来が少し垣間見れたのかもしれない。
顔が赤くなるような恥ずかしい事実だが、僕は少し前から気づいていた。
何の為に焦っているのか?本当僕を探す理由。
それは承認欲求を満たすため。
個人で何かをやり遂げて誰かに認めてもらいたいのだ。
簡単に言えば以下の3ステップだ
1、「これだ!」ってやつを作り
2、「すごい!」とみんなに褒めてもらい
3、心が満たされる
つまりは心が満たされたいのだ
本題に戻ると、空想寺を立ち上げた経緯は
自分の心が満たされたいからになるが、心が満たされるアプローチ間違っている説がある
確かに、本当に心が満たされるには誰かからの称賛ではなく、自分自身を受け入れる事が大切だ
そのためには以下の2ステップでいいのだ
1、「これだ!」ってやつを作り
2、心が満たされる
先にも上げたように僕は過去に何十回と同じような事を繰り返している
ブログやサイトも何度も立ち上げ潰している
ずっと3ステップ中の「2、「すごい!」とみんなに褒めてもらう」に急ぎ
1、「これだ!」を蔑ろにしてきた。
他人を見る前にまずは自分を見ることが大切だ。
グダグダとPDCAを回しつつ、遠回りをしつつ現在に至る。
もう一度本題に戻ろう
空想寺を立ち上げた経緯は
僕の「これだ!」ってやつを作り
僕の心を満たしたいから
僕の為に作るお寺だ
では、僕の「これだ!」ってなんですか?
という質問が思い浮かぶ
それは次回整理しよう