なぜ自分はこんなに苦しいのか。なぜあの人はあんなふうに振る舞うのか。 なぜ世の中はこうなっているのか——。縁起という思想は、そのすべてに一つの答えを差し出す。 「それは、無数のつながりの結果だ」と。
「縁起」とは、すべては原因と条件の組み合わせだということ
「縁起」とは、この世のあらゆる現象は、原因(因)と条件(縁)が重なって生じる、という仏教の根本思想だ。 単独で、何の関係もなく、ポツンと存在するものは何一つない。
たとえば、一本の木。種があり、土があり、水があり、太陽があり、時間がある。 そのすべてが重なってはじめて、木は木になる。種だけでも、水だけでも、木にはならない。
これあれば彼あり、これ生ずれば彼生ず。
これなければ彼なく、これ滅すれば彼滅す。 — 釈迦(パーリ語経典より)
自分もまた、縁起の産物だ
縁起の思想を自分に向けると、少し気が楽になる。
「今の自分」は、育った環境、出会った人々、経験した出来事、読んだ本、交わした言葉—— その無数の縁が重なってできあがっている。 「自分だけの力でこうなった」わけでも、「自分のせいでこうなった」わけでもない。
同様に、嫌いな人の言動も、縁起の産物だ。その人がそう振る舞うのには、 その人なりの原因と条件がある。そう見えてくると、怒りの形が少し変わってくる。
・「縁起」=すべては原因と条件の組み合わせで生じる
・単独で存在するものは何もない
・自分も他者も、縁起の結果にすぎない
縁起は、孤独の反対側にある
孤独を感じるとき、人はしばしば「自分は誰ともつながっていない」と思う。 でも縁起の目で見れば、それはありえない。
今着ている服は、誰かが作った。今食べているものは、誰かが育てた。 今使っている言葉は、何千年もかけて受け継がれてきた。 自分が存在するということは、すでに無数のものとつながっているということだ。
縁起は、孤立という幻想を静かに解いてくれる。
縁起と「空」——二つはセットで理解する
縁起と「空(くう)」は、仏教の二大思想として対になっている。
「空」は「すべては固定されていない」という思想。「縁起」は「すべては原因と条件でできている」という思想。 この二つは同じことを別の角度から言っている。
固定されていない理由は、縁起で成り立っているからだ。条件が変われば、結果も変わる。 今の苦しさも、今の関係も、今の自分も——条件次第で変わりうる。 それが縁起の、そして空の、静かな希望だ。
縁起を日常で使う
苦しいとき、行き詰まったとき、こう問う。
「これは、どんな縁が重なってこうなっているのか?」
原因を探すのではなく、縁の全体を見る。すると、「自分が悪い」「あいつが悪い」という 一点集中の責め合いから少し離れて、全体を眺める目が生まれる。 縁起は、責任の話ではなく、つながりの話だ。